京大に文句ぶーたれている連中は、クレーム付ける相手を勘違いしとりゃせんか?


 確かに京大の試験監督体制に甘さがあったのは事実だろうけど、カンニング犯を特定するためにも、他の同類/予備軍への一罰百戒の効果を生むためにも、京大が警察に被害届を出したのは妥当な判断だろう。犯人が特定された時点で被害届を取り下げていれば、ベターだったかも知れないけど、既に他の大学も巻き込んだ騒動になってしまった手前、一人だけ事件から離脱すると言うのも無理な話だ。いずれにしても、「カンニング騒動が事件化したこと」について京大を非難するのは、いささか酷というものだ。


 もし京大にクレーム付けている連中が、「カンニング騒動が事件化したこと」そのものより、その事件が全国的なスキャンダルとなり、「カンニング犯の予備校生の人生がほぼ終了したこと」について腹を立てているのだとしたら、その怒りの矛先は、自分たちがその怒りを生む引き金となった要素、すなわちメディアによるカンニング犯の追い込みとプライベート情報の暴露のえげつなさに対して向けるべきだ。そして自分達のその怒り自体、それらのメディアによって生みだされ、その内容のレベルも規定されているという一種滑稽な事実に気付くべきだ。


 更に極言すると、自分たちの不満の対象を特定の何か/誰かに設定し、その何か/誰かを「生け贄」にすることにより、自分自身の溜飲を下げたりストレスを発散している段階で、京大へのクレーマーや茂木健一郎氏といった一部文化人連中も、「カンニング犯に追い込みをかけたメディアや無責任なお祭り世論の形成者」と本質的には変わらない。例えるならば、ダンパで参加者が皆同じ曲に合わせて踊っている中、各自の腰を振っている場所が一般フロアーかお立ち台かの違いでしかないよ。目くそ鼻くそを何とやらだ。

入試投稿「騒いで逮捕させた」「監督こそ問題」京大に抗議殺到


 京都大や早稲田大学など4大学の入試問題が試験時間中にインターネットの質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で、偽計業務妨害容疑で京都府警が仙台市内の男子予備校生(19)を逮捕してから一夜明けた4日、京都大に抗議の電話が殺到した。
 京大によると、4日午前8時半ごろから一般からの電話に応じているが、「京大が騒いで未成年者を逮捕させた」「京大の監督態勢こそ問題があったのではないか」との抗議や苦情が、受け付け開始1時間ほどで約30件に及び、その後も鳴りやまないという。
 内容はすべてが京大の対応を非難したもので、年配者の方の声が多いという。
(3月4日 産経新聞