人は見たいものしか見えない。聞きたいことしか聞こえない。その3


人は見たいものしか見えない。聞きたいことしか聞こえない。
人は見たいものしか見えない。聞きたいことしか聞こえない。その2


 「知識過多・想像力過少派」、「知識過少・想像力過多派」、「法学的整合性に阿た教条主義的主張」、「潜在的な不安要素に振り回された現実主義的感情論」、その他、隠し味的に政治的信条の差異etcのエッセンスのごった煮。顧みて例えるならば、そういう状態であったと言えましょうか>国籍法改正騒動。


 ここ数日のその状態、ネット上における国籍法改正を巡る推進派と反対派の主張が、見事なまでに噛み合わない姿を見ていて、2年前に書いた上記2エントリーを思い出しました。人とは、つくづく「見たいものしか見えない。聞きたいことしか聞こえない」のですね。神楽自身も含めて。


 そして、そんな主張の応酬の数々が、現実の為政者・意志決定者・利害関係者の行動・判断に殆ど影響を及ぼさなかったことを痛感させられた12/3。ネットは広大でも、所詮は図体がでかいだけのコップにすぎないと改めて嘆息した12/412/5。主張を含む行動とは、須らく物理的かつ実効性を伴うもの、テーマの実態に密接したものでなければ、最終的には無意味だと再認識した12/6。


 明日以降の出直しに向け、自戒の意を込めながら一筆。