「はだしのゲン」の漫画家、中沢啓治氏 〜 個人的に彼の政治主張は好きじゃない。だが、一被爆者としての叫びを自分のスキルを通して世に出した功績は讃えたい。


 「はだしのゲン」も展示されている広島平和記念資料館には、3度ほど行きました。あの展示物の数々を見て、戦争をしたい&戦争に巻き込まれたいという者はいないだろう。同時に、戦うこともできずに虐殺されたいと思う者もいないだろう。その思想的アプローチの差は小さいようで大きく、そして両者の溝は深い。


 私は「後者側」の人間。今日、「前者側」の中沢氏の逝去の報に接して襟を正しはするが、このスタンスは終生変わらない。改めてそう感じながら、合掌。

ゲンと生き抜き、反戦唱えた…中沢啓治さん死去


 漫画を通して世界に原爆の惨禍を伝えた「証言者」が逝った。
 67年前の自身をモデルにした「はだしのゲン」で、被爆の実態を世に問い、核兵器廃絶を訴え続けた中沢啓治さん。晩年は肺がんと闘いながら、車いすで、時には酸素吸入器を付けて講演に出かけ、「原爆に負けてたまるか」と、力の限り反戦を唱えた。体験を語る被爆者が少なくなる中、関係者らは逝去を悼んだ。
 「ゲンが世界を飛び回っている」。中沢さんは大好きな酒の席などで、「はだしのゲン」が世界18か国語で翻訳・出版されている話になると、心からうれしそうな笑顔を見せた。来夏、広島平和記念資料館広島市中区)で予定されていた「ゲン」の連載開始40年の企画展にも、式典参加の意欲を示していたという。
 白内障などの症状が進んで2009年秋に引退を表明した後も、小学校などで精力的に講演活動を続けた。肺がんで入退院したが、「再び生かされた気持ち。これからも原爆の恐ろしさ、戦争の愚かさを伝え続ける」と情熱を燃やした。
 取材に対しても、「これまで作品を読んでくれた若い人たちには、困難にも直面してもたくましく生き抜いたゲンのように、平和への道を切り開く力になってほしい」と訴えていた。
(12月25日 読売新聞)